どうも、「???」と申します。
嘘です、にゃんせつ先輩です。お久しぶりです。
はじめに、maimai10周年おめでとうございます(祝)
なんだお前かよと思われた方はすみません、そうです僕です。
概要分だけで特定してる人もチラチラいましたね...。
ブログリレー企画をやるということでサプライズ(?)参加です。
書ける場所をずっと探してたら10年前に作ったブログがたまたま消えずに
残ってたので再利用にすることにしました。maimaiというゲームが世に
出る前に開設したブログなので少しだけ思い入れがあります。
残りの記事のほとんどはちょっと恥ずかしかったのでしれっと消しておきました。
ニコニコの方にもブロマガがありましたがあちらはサービスが終了したので
記事は全部消えました、アーカイブは残念ながら残っていません。
このブログのサービスがいつ消えるかわかりませんがとりあえずの置き土産として
メッセージを残しておくことにします。あとPCから見ないと改行がおかしいかも。
スマホ側の文字サイズの変え方がわからないので許してくだちい。
先に言います、長すぎてスマン。
ほかの参加者の記事はこちら↓
◆はじめに&自己紹介◆
まず、こういう企画をやりたいという話は半年程前にたけるんくんから直接
聞いてました。が、まさかトリになるとは...責任重大すぎる。
でもせっかくの機会なので色々とこのゲームに思う事をつらつらと
書こうと思います。面白い事やタメになる話は先駆者がたくさん書いて
くれてると思うので自分は思い出話と自分語りをしたいと思います。
他の参加者の記事を拝見しましたがみんな文才で見てて楽しかったです。
自分は残念ながら文章力皆無で特別面白い事も言えないと思いますが
共有したい思い出話があまりにも多いのでここに書き記しておきます。
長くなると思いますが最後までお付き合いください。
まず自分について、maimaiというゲームは無印稼働日からプレイしていました。
当時21歳。当時はランカーというランカーも少なかったので一時は
時の人になれたんじゃないかと思ってます。体力の衰えを感じ限界を
感じていた30歳、ここで諦めるのはあまりにも今までの努力が勿体ないの精神で
最終目標の舞舞舞を取得し、未練なく界隈から卒業した者です。
maimaiを通して撮影した写真はおそらく20000枚ほど。
動画も1500個くらいは上げたんじゃないかなって思います。
初プレイから10年経ち、今や31歳になってしまいました。余談ですが
某ガリガリが有名になったのは18歳の時。あまりにも時間の流れが速すぎる...。
今現役でやってる人達の殆どは自分が初めてmaimaiに触れた21歳より
更に若い年代なのでプレイヤーとしても色々と思うところがあります。
旧ブロマガには敢えて書きませんでしたが活動を辞めた理由もあります。
見てて気持ちの良い理由ではないと思うので
別記事に記載しました。
見たい人だけ見ると良いです、自己責任で見てね!
-----------------------------------------------------------------
◆maimaiをはじめたキッカケ◆
そもそもこのゲームを始めたキッカケは旧筐体についていたカメラ機能でした。
あれが自分の人生を狂わせてしまいました。今となっては丸くなってしまった自分
ですが当時は何しろ目立ちたがりだったので面白い動画をいかにして撮ろうか
という考えばかりしてた気がします。
日に日に上達してくるうちに「ふざけてるのに上手い」
動画を撮れば面白くなるんじゃね?という安直な考えで変な動画ばかり撮ってた
気もします。今となっては黒歴史並みに恥ずかしいんですけど元々maimaiは
パフォーマンス主体のゲーム"だった"のでそれはそれで多少maimaiというゲームを
盛り上げる事に成功したのかなと今となっては思います。
下の方で取り上げますがかつて大阪には「心斎橋ギーゴ」というmaimaiの聖地が
ありました。人気がそんなになかったmaimai無印の時点で多くのユーザーが
付き、毎日誰かしらがひっきりなしにプレイしている、そんな店舗でした。
今思い返してもあれは異端で異常でしたがあの店舗に育てられ人生を
変えさせられた人は少なくないです。あの店のおかげで今の自分があると言っても
過言ではないです。このへんの話はまた後で...
この前収録曲が1000曲を超えたそうですね、
一番最初は確か44曲しかなかったので本当にすごいです。
サ終した前のブロマガでも触れましたがこのゲーム、当初は3年くらいで
終わる事を想定して作られたゲームだったんですよね。
これはチャン@DP皆伝さんから個人的に聞いた裏話です。
本当だったらORANGEあたりで終わってた計算です。
実際自分もこのゲームが発表された時、「これはコケる」と思っていました。
しかしなぜでしょう、いざ稼働してみると200円2曲の高レートなのに100円玉を
何枚も投入していました。超楽しいと思いながらはプレイしていなかったはず
なんですけど他のゲームにない謎の中毒性にハマってしまった、そんな感じです。
ボタンとパネルを使い分けて遊ぶ、ある種のパズルゲームのようなゲーム性に
気づかされどんどんやりこむようになっていきました。
無印初期は正直人気が本当になくて待ちもさほど発生しなかったので
めちゃくちゃ金を突っ込んだ記憶があります。
...そんなゲームがみんなから愛され1000曲突破からの稼働10年突破。
しかも今のご時世で、これはマジですごいことだと思います。
正直な話音ゲーというものはゲーセン側にとって稼ぎ頭にはなりません。
プレイしてくれてる人がついでにプライズをやってくれる事を狙って
置かれてるような機械です。そのせいで消えていった音楽ゲームも
少なくありません。そしてトドメのコロナウイルス、音ゲーどころか
アーケード業界がヒィヒィ言ってる中でこれだけ話題作りの絶えない
セガ音ゲーは本当に勝ち組だと思います。
「正直音ゲーって儲かんなくないですか」みたいな質問をコハDにしたときに
コハDは「みんなが楽しんでくれてるならそれでいいんじゃないかな」
的な事を答えてたんですよね。これマジで心にグサッときた
ツイートだったのでみんなに共有しておきます。
コハD、シャイで怖そうな人だけど音ゲーに対しての思い入れは
どこの会社よりも強いです。現にセガが音ゲー業界を
引っ張りつつあるのが成果の証です。欲を言えばこのまま
「"今ある"ゲーム達」をずっと大切にしていってほしいと思ってます。
-------------------------------------------------------------------
◆maimaiの思い出を語るのコーナー(超長い)◆
追記:繋がり1/3の記事を更新しました(22/07/10)
本当は自分のありったけを全て語りたいんですけど
文字数制限もありますし本気で書くと100000字くらいに
なっちゃうので泣く泣くいろいろ端折ります(本当?)
何より7/10までに提出するというタイムリミットがあるので手短に
(これ書いてる現時点でまだ全然出来てない)
てなわけでゆる~く思い出(自分)語りをしていきます。
当時を知らない人も知る人も懐かしんでもらえればありがたや。
他にも書きたい事があったらしれっと追記するかも
-無印編-


2012/07/11 洗濯機の形をした音ゲーに出会います。
このゲームが発表された時、ぶっちゃけコケると思っていました。
よくある、勝手に出て知らない間に消えていくゲームだと...。
しかし自分はこのゲームが出る前にProject DIVAをやりこんでいたので
SEGAは自分の中でゆかりのある会社でした。
というわけでとりあえずやってみるかと軽い気持ちで始めた結果、
自分の人生は(良い意味で)でおかしくなっていきます。
そしてmaimaiというゲームがよく利用しているサイトと
とある機能で連動している事に気が付きます。
そして自分は「カメラ機能」という新しいオモチャを発見します。
これがはじめて上げた動画です。最初はタッチ勢でかつ素手
でした。こんな時代もあったんだなあと。あとはプレイ場所。
今いろんな意味でお世話になっている関大前フタバボウルです。
当時はデフォルト200円曲というトンデモ価格設定だったので
プレイする人が少なかったのですがこの店舗含め大阪には100円台
が3か所存在していました。たった3か所です。すごい時代です。

ある時代ではラウンドワンのゲリライベントで
100円3クレが実施されるというあり得ない事も
起きていました。当時は人気がなかったのでそれはもう
連コし放題でしたね(苦笑)
カメラ動画の良かったところはもう無くなってしまったゲーセンや
その時特有のお店のレイアウトを思う出せるところにあると自分は
思っています。信じられない記録が出た時は放心状態で何も覚えて
ない事が多かったですが自分で動画を見返したときにそれが現実で
あったと気付かされるあの感覚が自分は好きでした。
時にはふざけた動画を撮ったりしました。
もはや「機能の悪用」に近かったのですが当時の僕は
目立ちたがりだったので悪ふざけにしか見えない動画を
撮りまくっていました。そんなこんなでプレイしていく
うちにmaimaiというゲームが上手くなっていきます。
そして「ふざけてるのに上手い動画上げたら面白いんじゃね」
という事に気付き(?)以降、真面目にプレイしないAP動画を
たくさん上げていきます。今となってはめちゃくちゃ恥ずかしい
ですが若かったもんですから許してさしあげろ。

当時の選曲画面はこんな感じ。
MASTERは全てレベル10となっております()
ゲキテイと源平は同じレベルです(にっこり

リザルトがこんな感じ。
達成率? そ ん な も の は な い 。
達成率の概念が出来たのはPLUSから。
この頃はBREAK(パフェ)が2500固定で
リザルトに入るまでランクがわからない
トンデモ仕様でございました。

これが当時のオプション画面。THE・シンプルです。
偶数のボタンに各設定のボタンが割り振られていて
5番で決定です。背景の明るさ調整?☆を回す設定?
そ ん な も の は な い 。
ハイスピも5が最高です。今考えるとすごい時代でした。
ある日maimaiの聖地と呼ばれた心斎橋GiGOに出会います。
今では聞きなじみのある「GiGO」ですが昔からこの名称が
付いたセガ系列店舗は存在していました、知ってましたか?
maimai無印はあまり人気がないと言いましたが、この店舗は別でした。
なんせこの店舗からの動画投稿数があまりにも異常だったので
コンテストは2位3位の概念をすっとばしこの店舗だけ
表彰されました。意味が分からない。

動画コンテストの結果として(たぶん再生数が採点基準)
上位3名に称号が送られました。
未だに現役でプレイしているセレカが持つ
2nd Championはこの時にものです。
そりゃ誰も知らんわけ...


似たようなイベントにmaimaiガールというものがありました。
とりあえずかわいい女の子がキャッハウフフな動画を撮って
タグを付けてアップすれば運よく入賞するというやつです。
グランプリ賞になった2人はmaimaiPLUSのデモ画面で
流れるムービーに登場するようになったりします。
ちなみにmaimaiガールにも特別称号がありました、ほしい。
ruristarさんとhinaさんは大阪出身で特にhinaさんはのちのち
お世話になる難波ヒルズの店員さんだったりします。
自分も応募したんだけど採用されなかった、おかしいなあ。
はじめてギーゴに行った時は「なんだここは」と思いました。見たことない数のmaimaiユーザーで溢れかえっていたのです。
まさに新境地を発見したような気分でした。
以降、この店舗に通いつめ色んな知り合いが出来ていきます。
今と違って黙々と譜面をシバくユーザーは少なく、楽しく
ゆるく遊ぶゲーマーがめちゃくちゃ多かった印象です。
この店舗で育てられた化石マイマイマーは多いと思います
実はしれっと運営の人たちが自分達に交じって
ワイワイやってたという噂があったりなかったり...
はじめて大会に参加するも2回戦敗退...
こんなにも世界(?)は広かったのかと実感しました。
なんせ自分より上手い人はみんなボタンでやってましたからね。
昔は謎にタッチでランカーになりたいというプライドが
ありましたがバグには勝てず途中で心が折れましたw
そして大会後の記念動画撮影がはじまります。
当時maimaiを通しての知り合いがほぼほぼいなかったにも
関わらず新参(?)の自分をみんなして受け入れてくれた時は
本当に来てよかったと思いましたね。以降自分は
この店舗に通い詰めるようになります。

これは当時パルさんと呼ばれる肩が配っていた自作デザインの
手袋。
平日であれ毎日誰かがプレイしているある種の異空間でしたが
正しい意味での「実家のような安心感」を感じられる、
そんな場所でした。無印初期は都道府県番号をCNに付けるのが
流行っていたので大阪の都道府県番号27番にあやかって
「27(にーなな)勢」なんて呼ばれていましたね。
自分もえびちゃん(27リーダー)に誘われて名前の語呂的に
都合が良いという事でSE2NYANPからNya*SE27に変えました。
...あの頃はホントにゲーセンって感覚で通ってなかったなあと。
ちなみに自分がmaimaiを通して知り合った友人は
この店舗で出会った店員とmaimaiを通して結婚しました。
あまりにも運命すぎだろ。

動画コンテスト優勝記念ステッカーも貰いました。
みんなもこのデザインは見た事があるかもしれませんが
これはキンピカ仕様です。まあただの金箔なので
のちのち全部剝がれちゃいましたが...。
これを持ってるあなたはmaimai老人会!

そしてバージョン1.01が稼働します。
実は無印(1.00)と無印+(1.10)の間には
1.01なるバージョンがあります。
ディスクごと入れ替えるのでれっきとした
別バージョンだったりします(豆知識)

きみのためなら死ねるは自分がDSの発売日に勝った
ゲームの1つであります。インターネット老人なら伝わる
Flash黄金期と言われた時代に出たゲーム&曲です。
最近収録された403のSouthern Crossと非常に立ち位置が
近い曲となっています。
これらは神称号の対象ではないのですが
のちに真神の対象曲になります。
あまりにもややこしいので統合された感じですね...
そして自分にはランカーに憧れる要因となった
伝説の動画が上げられます、それが
これです。何がやばいって楽曲配信2日目なんすよね。
今考えてもこの時代にこの動画が投稿されたのは意味不明。
なんなら譜面は見たから実質初日みたいなことを言ってた気も。
maimaiDXで例えるならLv.15を2日目でAP出すくらいは
意味不明でした、なんせこれより難しい曲はまだなかったので...。
(※ver.1.01の楽曲は2回に分けて配信されたのでこの頃リーチは無いです)
今となっては知る人ぞ知るLAV1Sさんですが顔出しも
してなかったので本当に伝説のプレイヤーでした。
これが自分の中で最も衝撃を受けたmaimai動画になります。
彼はのちに1人目の「神」称号持ちとなり、神称号の存在を
知らしめた人物でもあります。ちなみに初代初期の文字が白色の
神称号をとったのはたった4人だけです。PLUSで取るのとは
難易度がまるで違います(PLUSはハイスピ9まであるので)
そんな自分のJACKY初見はというと...

ウーン(頭を抱える)
まあそんな時代もあったということで...

間もなくして第二弾が追加されます。
オラ、なんか嫌な予感がすっぞ...
アッ。
出来るわけないだろ!いい加減にしろ!
これが追加された当時まだハイスピは5まで
背景明るさ変更不可、判定バグだらけ
ということもあってランクS取ってた人は
全国に10人もいなかったんじゃないかな...笑
今までAP埋めしてたランカー達が絶望する中で
maimaiNETに動きが発生します。

これは何。
暫くしてゲーセンにいた知り合いから連絡が。
「全押し降ってきた」
そんなわけが

ありました。
観賞用譜面か何か?
これも無印中にランクS取ったのは4人程度。
ちなみに当時こいつは期間限定曲なので
11/25-12/25までしか出現しません。
当時はオマケ譜面みたいなもんだったんですね。
それの名残か真シリーズの対象にこの楽曲は
含まれていません。
(ややこしいのでそろそろどうにかしてほしい。)
余談ですがこの譜面はDP皆伝が1日で作ったらしいです、
本人は駄作扱いしてるらしいけど普通に天才。

当時は指標となる称号の種類が少なく、ランクSの
数に応じて貰えるこの称号がほぼほぼ最強でした。
この上位互換はもう極と神くらいしかありません...笑

初APで手に入る「ほぼ神」は紫がそこそこ出来る
全ユーザーが装着してた気がします。自分は恋愛
サーキュレーションが初APでそのままゲットだった
のですが世間的に一番多いのはゲキテイだと思います。

そんなこんなで初期曲全譜面FC達成
努力の成果は少しずつ現れてきました。
そうそう、無印にはレベルの概念があって
上げれば上げるほど報酬がもらえるシステムでした。
最終的なレベル全一は860だったのでMiLKで発覚した
舞鳳凰と舞の極みの取得者は0人でした。

当時色んな人が合世話になったであろう
スコア管理サイト「まいまいろぐ」の初期の頃の
画像も出てきました。昔はこんなチープだったんですねえ

そしてmaimai初期にはユーザーが少なすぎて目標を
達成できなかった伝説のイベントがあります。

あまりにもプレイされないせいで最後の何日かは
カウントが2倍?になったのですが結局半分以下の
数値...。完全に黒歴史イベントでした笑
1つの歴史というか当時の文化として「月刊maimai動画」
なる動画が月1で投稿される風習がありました。
これは運営ではなく個人ユーザーが頑張って
作ってくださった動画なのですが当時のプレイヤーは
このランキングに載りたいという理由でおもしろおかしな
動画を撮ったり上げたりしていました。この文化はおよそ
ORANGEあたりまで続いたのですがこんな動画個人で
よく作ってくれたよなあと今となっては思います。
maimaiが人気になっていった理由には少なからずこのシリーズが
続いていったからなのでは?と今となっては思います。
古き良き良い時代でした(懐古厨)

そんなこんなでmaimaiPLUSが稼働。
リザルトが綺麗で鮮やかになりました。
プラチナ色の達成率が超かっこいい。


この頃にまとめサイトなるものが出来た気がする。
しかし、BREAKの配点が細分化されたせいで
当時は大炎上。それもそのはず、無印から引き継がれた
APスコアは全て100.00%で引き継がれるからです。
今となってはこのタイミングで変更して正解だったのですが
当時はこの仕様変更を受け入れられるのにそこそこ時間が
かかった印象がありました。なんせ埋めてた人は埋めなおし
だったので怒る人の気持ちはわからんでもない。
しかし蓋を開けて盛れば神ゲー。
背景は暗くできるしハイスピも9まで変更可。
今までPOPでふわふわした曲やヘンテコな
ジャンルの曲ばかりだったのにいきなり
ドチャクソかっこいいJOYPOLIS楽曲が入ったのも
このバージョンです(※画像は追加配信時のもの)

当時のmaimaiNETのステータス画面がこんな感じ
FiNALEまでUIはほぼほぼ変わらず、FiNALEで
サイトの背景だけ変更されましたね。
そしてある日JOYPOLIS第二弾の告知ムービーが
公開されます。誰もがNerverakesがラスボスだと思います
(だって曲調がもうそれじゃん)
しかし実際は違いました。
その問題の曲の初見画像が奇跡的に残っていました。


今までで一番意味が分からん
もはやどうしようもない。
こんなもん出来るようになるんか...
というか人体構造的に不可能配置ない?
そんなことはなかったらしい(冷静)
フレグラは後の自分の武器曲になるわけですが
当時としては前例のない不規則配置譜面だったので
出来る人間はもれなく人外のような扱いを受けていたのでした。

話は変わって思い出話をば。
これは難波ヒルズ主催のコスプレ企画。
趣味の変わった店長と公式maimaiガールhinaさんに交じって
歩行者天国を徘徊しました。周りにウケすぎて
2時間くらいは拘束されていた気がします。
これはストフエスのイベント終わりに難波アビオンで
プレイした時のやつ。写真だけなら割と見た事ある人はいるかも?
わしじゃよ(QB)
そんなこんなでふざけたプレイをしつつも
着々と上手くなっていき、ついに神称号に
リーチがかかります(巻きでお願いします)
神称号対象2強のうちの1つがコレ、炭坑節。
今でもだいぶ癖の強い譜面でいかにも-100号が
作りそうなゴリゴリのTAP譜面。これが稼働初期から
あると思うと結構すごいよね。というか民謡をボスにするな。
200回くらいかかったっけな。
初代ラスボスはこれ。
なんでこんなネタ曲をボスにしたかは謎ですが
そもそもこれmaimaiオリジナル曲ですらない
でもコムソーコムソー言ってるフレーズが謎に流行って
荷物かごを頭から被って虚無僧の真似をする人が
大量に現れたりしましたね(譜面の話をしろ)
初期の頃の赤譜面にはなぞっても反応しない
源平バグと言われるとんでもないバグがありました。

だいぶ端折ってしまいましたが自分の誕生日である
1/25に神称号を獲得しました、深夜でした。ぼっちでした(泣
PLUSなので称号の色は紫です。自分で9人目とかだったかな。
この称号は今でも使用出来るのですが「どうやって取るの」という
質問が定期的に来ます。
なので毎回「まずタイムマシンを用意します」と返しています。

余談ですが当時のシンク相方にゃー氏とダブルで
神と舞舞を取ることにも成功します。SE2-Nya*という
カードネームはNyaaaaa*氏に便乗した名残です。

難波ヒルズではその名の通り「神イベント」が
開催されました。そもそも大阪には当時神称号持ちが
3人しかいなかったので店にとって何のメリットが
あるのかわからない謎イベントでした。
まぁありがたく利用しまくりましたけど...w
暫くして新たな観賞用譜面が飛来
このへんのタイミングでコイツが入りました。
どうみてもAP出来るように作られていないと
思っていた譜面ですが無印ではAPが2人出現しました。
逆に言うと2人しか出ませんでした。
1人目はフレグラ最速討伐のVIVAさん
2人目が後の全一smnさんです。
この人が注目され始めるのはこのあたりからです。
今思えばこの時点でプレイヤーにインフレが起きていた
ような気もしますが彼らは他ゲーでもトプラン経験が
あるのでノーカンです(謎理論)
そしてこれが当時のランキング、自分は全国5位。
彼に憧れて始めたプレイヤーは多いんじゃないでしょうか。
ここで1つ、陰で注目されていた謎のトンデモプレイヤーを1人紹介します。まずは動画をご覧ください。
な、なんだこれは....。
「これはまるでLAV1Sさん第二世じゃないか」
と、思わせるような顔を隠してのプレイと
意☆味☆不☆明な指捌き、
意味見てもわけがわからない。
彼は本当の隠れランカーで、当時SNSにも存在せず誰も存在を知らないまま無印中にリーチでSSを達成していたトンデモプレイヤーでございます。
とまぁ歴史ある古参ゴリラ人の紹介でした。
自分はというとリーチで念願の全国初SSを達成します。
この頃のSSは今でいうSSSです。昔はSSSがありませんでした。
全国1人目ということもありそこそこ話題になった気がします。内訳は2-2-0だったかな。まだタッチプレイが抜けきっていません。
ここでソニック曲全譜面でSS埋めを実行しかし何も出てこない。当時はmaimaiNETでSonicALLSSという名称のアイコンが発見されていた事もあって何も出てこない事に相当なショックを受けました笑
数日後にAPを達成。まだタッチ勢の面影は
ありますがちょこちょこボタンを使いだしています。
しかし僅差でVIVAさんに最速APを奪われてしまいます。
でもこれでなんとかトプランの足を追いかけられる
レベルまでになれたと自信が付いていきます。
今でも知ってる人は少ないのですが旧筐体の頃の
スライドにはSYNCが途切れるタイプのGOOD判定と
途切れないタイプのGOOD判定があったのでGREAT判定の
ギリギリ外側のGOODを狙ってSYNCを目指す遊び方が
何故か自分の中で流行っていました。良かったら見てくださいw
大阪には幸いにもこの時代から貸し切り台なるものが存在していた
ので神を取ってからはシンク埋めに専念しました。無事に獲得。
こちらは5人目とかだったと思います。
当時はシンク埋めに執着心をもったユーザーが少なかったので
神称号持ちよりもレアでした。ちなみにこういった
実績系称号はGreeNで取れなくなったのですが今でも装着することが
出来るので付けてる人がいたらもれなく老人だと思ってもらえれば()
のちの舞舞舞舞舞に繋がる称号はこの時代に取る必要がありました。

無印の全点灯埋めは見るだけでも圧巻です。
ジャケットが背景に表示されることもあって
個人的には一番好きでした。

昔の実績表示はこんな感じ。
律儀にも実績のスクショが残ってました。

あとたまたま当時のランキング画像が残ってた
懐かしすぎて死ぬ。
実はmaimaiPLUSの頃はちゃんと理論値埋めをしてました。
当時は今のような便利な管理ツールもなく手で書いた方が
早いということで理論値までの差分メモを1譜面1譜面
書き綴っていました。そんな感じのノートをこの前
発掘したので掲載しておきます。

今見るとすごい雑ですけど自分なりに努力していた
のが見て取れます。本当に上手くなりたかったんだろうなあ(他人事)

DIVAとコラボしたこともありました。
39で使えるYOS式を知ってる人はもれなく老人会。

舞が如くの上位互換としてSS級〇〇という称号が登場。
神プレートがない時代はこの称号でプレイヤーごとの
つよつよレベルを見極めていました。
無印で一番嬉しかったシンク動画をペタリ。
APはおろか圏内を出せる人間が関西(というか全国的)に
存在しなかったのでAP2人目であるほしケチさんを召喚。
シンクが出るまで付き合ってもらいました。
今ではどこに行っても出せる人がいる時代になりましたが
当時は上手い人が少なくて本当に困りました。

maimaiPLUS終盤では超超高難易度チャレンジという
ランカー以外に人権がなさそうなイベントが開催されました。

以前出現せず悔やんだリーチSSによるソニックアイコンは
このイベントを通してゲットすることが出来ました。
当時リーチが出来た人間も数えるほどだったので
付けているのを見たことがあるだけでもだいぶレアです。
そんなレアなアイコンはDXでなくなっちやいました...w
これは無印が終わる数日前に出た動画。
結局APは3人、SSがAP者含めて4人。
無印の稼働はここで終了します。
当時この譜面がどれだけ猛威を振るっていたかが
予想出来るかと思います。これ、ダンエボと同路線で
行こうとしたゲームの譜面じゃないっすよ(半ギレ)
そんな未練を残したままmaimai無印は終了します
あと最後に。
こんな動画が残っていました
いつか懐かしめるようにとたまたま撮ったものです。
今見ると懐かしいどころの騒ぎじゃないな...
-GreeN-

自分が最も好きなバージョンがGreeNで、人との繋がりが
県の枠を超えて増えていったのもこのバージョンです。
全国初の完全制覇(今でいうマーク全点灯)を達成したのも
このバージョンになります。
レベルの概念が撤廃され、レートの概念が出来ます。当時は13を超える=ランカーの仲間入りでした。稼働初日の曲だけじゃ12.98が限界値だったんだっけな。フレームとプレートも追加され、人それぞれ個性豊かなプロフィール画面を作成できるようになりました。
当時のmaimaiちゃんねるはこんな感じ!
収録される曲のジャンルの幅も広がってプレイヤー人口はここから一気に急増していきます。というか人気すぎてホントとんでもなかったな

追加された「風が好き」称号、これはただの曲名の誤訳なのですが
実は2ちゃんねるのmaimaiスレから逆輸入されたというのは
知る人ぞ知る有名な話...。(露骨な運営の監視アピール。)
この称号の他に「宇宙高級タクシー」というものもありますが
こちらも2chスレで付いたレスから採用されたと言われています。
(豆知識)
ある日、素手でライクAPを達成した謎の人物が
同じ大阪に出現したというトンデモニュースが入ってきます。
その名はFATE。彼はGreeNを最期に引退してしまいましたが
素手プレイヤーとしてはちょっと群を抜いていました。
(昔素手プレイヤーを目指していた自分が恥ずかしい...)
大阪でそんなプレイヤーがいると知った自分は彼に
シンクをお願いする事になります(コミュ力〇)
当時は同じノーツでGOODを出してもシンクが継続されると
いう神機能もありましたね。(当初はそんな仕様を公式が
公言していなかったので初期の頃はバグ扱いされていた)
そして...

憧れの真舞舞です、全国2人目です。
実はかの有名なY.S-Yさんが真舞舞全国1人目であった事を
知る人はもう少なそう...。
稼働から結構な時間が経っていましたがそれでも
ライクにシンク付けたユーザーは2組だけでした。
最初見たときはAP不可譜面だと思っていましたが
シンクが付いたことにより可能譜面だったと確信に変わります。

自らの足で真舞舞1人目のわいえすさんに
会いに行くことにしました

どうしてもこのツーショットが取りたかったのです。
2人しか持っていなかったので当時では唯一無二の写真です。
目的はそれだけではなく、わいえすさんが勤める
ゲームセンターの大会に参加するというものでした
自分は大将としてチームを支え見事勝利しました。
maimaiを通して遠征をする事が楽しくて仕方ない、
そう思うようになります。知らない場所に行き、
知らない人と動画を撮って思い出作りに動画を撮る、
ゲーマーとして最高の過ごし方だと思いました。
関西は27勢がmaimaiを盛り上げていましたが
東京渋谷では109勢がクラブセガ渋谷でmaimaiを
盛り上げていました。関東の聖地といえばここでしたね。
今では雲の上の存在のあやたん含めぼいちょさんSnjさん
全員が自分より無印のプレイヤーレベルが高く、あやたんと
Snjさんはレベル800の舞龍を所持していました。自分が
2000クレくらいやって690くらいだったのでこれがどれだけ
異常だったかはだいたい予想できるハズ...

そしてついに彼と出会う日が来ます。

His name is "smn".

彼は正真正銘の変態でした。
当時真神も2人しかいなかったので真神を持って
いなかった自分はプレートをそろえることが出来ませんでした。
真神プレートに対する物欲がここから超越します。
犬。
maimai初のエイプリルフール限定曲です。
(厳密に言うとセガサターンリミが最初なのですが
スタッフがネタ動画を出しただけで実際には実装されず)
似たようなのがFiNALEにもあったと思いますが
これは譜面そのままに音源だけ変わったもの。
一応設定上はっぴーちゃんが楽曲を乗っ取った
という設定です。

そして二代目maimaiちゃんが大阪に襲来!
ホントはサプライズというか多分偵察だったと
思うんですけどいっぱい遊んでもらいました(意味深)
maimaiちゃんとmaimaiちゃんのテーマ。

色んなところ巡り巡って色んなお話をしました。
かわいかったです
当時はありがとうございました。

無印で900回ほどプレイして99.97%を出して以来、
粘着から1019回目で初めてのSSを達成。
そして1039回目でついに...
APを達成ーーーー。これに関しては完全覚えゲーです。
1.まず曲を完璧に覚えます。(鼻歌でFULLを歌えるレベルまで記憶します)2.ハンドクラップ(アンサー音)を暗記します。3.運指を組みます。
だいたいこの手順でmaimaiというゲームはどうにかなります。まずは曲を覚えるというのがミソです。譜面だけ要所要所覚えてもいざプレイすると考える事が多すぎてパニックになります。結果、その譜面がどこで流れてくるかをプレイ中に忘れてしまい叩けないというのがありがちなパターンです。なのでまずは曲を覚える、そこからハンクラを覚えて手順を組む、これが一番おすすめです。
あとこれはあすこに言われてめちゃくちゃ納得したワザップなのですが回転前の73625148は「長方形2つをイメージする」と次の回転に入りやすいです。上手い人はただただ脳死で回数を重ねているわけではなく
「何を意識するか」から考えてプレイしています。これが出来るか出来ないかで上達スピードも変わってきます。
まさかのその直後
奇跡がおきた。
こいつも800回くらいかかりました。
この譜面も最初は観賞用譜面として扱って見てました。
1ノーツ目から発狂がはじまるタイプの譜面はこいつが初
なんじゃないでしょうか。今見ても意味の分からない汚い
配置をした譜面で、これアカンのでは?と思うレベルの
巻き込みスレスレ配置があります。個人的にはラストよりも
Bメロで苦労しました。やるたびに運指が変わるawakeタイプの
譜面なので運指については忘れてしまいました。
たまたま通った時にお祈りするゲーム。
そして...

もうね、かっこよすぎる。
結局この神プレートが一番かっこいいんだよなぁ。
ホントにGreeN初日からあこがれ続けたプレートでした。

ネタ動画を撮りまくっていたツケなのか
運営から殿堂入りプレイヤー称号が贈与されました。
週に1回面白かった動画を3つ運営がピックアップして
公開された動画のアップ者に特別称号が送られるという
企画でした。
ちなみにこの企画で一番面白いかった動画は
まぎれもなく第一回表彰の
これです。もう優勝でいいよ。
マジでおもろいので見た事ない人はご覧あれ。
「これが昔のmaimaiか」と思わされる動画です。

そして何故か自分は5回の入賞を果たし
新たな特別称号をゲットします、それが

「人気うp主」です。今付けると取得条件の取らない層に
「なんだお前意識過剰か」と思われそうなので付けてないですが
全国で3人しか持ってない貴重な特別称号です。
これを機に覚えてもらえれば。
これが入賞5回を達成した動画です。
ちょうど高橋名人が誕生日ということもありお祝い?動画として
おふざけ動画を投稿したらなんか採用されました。
こんなこともありました。当時フレグラが出来る
ユーザーは両手で数えるほど。そんな中でランカーが
4人集まる事がタイミングがあったので頑張って
4人シンクを達成した時の動画になります。
サントラでおチラしていたシステムとガラクタがついに実装
そもそも購入に100000maimileかかる高額商品で
赤の時点でレベル11と書かれていたのを見て転げ落ちました
いざ紫を開けてみると両方12、もう絶望でしたよね。
当時は2強と言われていて、ガラクタに関しては初AP達成者が
出るのに2か月くらいかかったんだっけな?
こんな事件もありました。壊れたディスクをSEGAに送ると修理(初期化された)ものが
返ってくるのですが初期データが書き込まれたせいで
現行バージョンで初期データのものが遊べてしまいました
おそらくガラクタなどは時間管理なので解禁されるか否かが
判断されているので誤って作りかけのデータが表に出てしまった
のだと思われます。現行と違う謎譜面は他に
しゅわスパ☆大作戦等がありました。
当時はバグ譜面と呼ばれていたのですが
遊べた人はガチでレア。確認できただけで4店舗くらいかな。
(のちにDP皆伝から「あれは作成中のデータを消し忘れていた
せいで起きてしまった」という裏話を頂きました)
こちらが全国初のガラクタAP動画。10/24実装、初AP者出現12/19
今ではプレイヤーがゴリラ化されたせいで
ここまで期間が空くことはないですが当時は
まだ真神が6人だったのでAP挑戦権すら
持ってる人がいなかったですね。
彼はmaimai PLUSからはじめた他ゲー出身
音ゲーマーなのですが自分よりも早く、しかも
無印でライクをAPを出していた強豪プレイヤーです。
無印の頃から異常な成長を見せていたのでずっと
注目していたのでこっそりライバル視してました。
そんなこんなで自分はシステムのAPを達成。
初見は92%でしたがガラクタシステム以外を
全てAPし、いよいよコイツらしかないという状況で
潰すしかないの一心で粘着し続けた結果の賜物
最初に見たときは理解できない配置が多すぎて
個人的にはガラクタよりインパクトが強かったです
SSでmaimaiちゃんZという変な称号が貰えるので
それを目標にしていたプレイヤーも多いのでは?
ガラクタはよく覚えています。
友人の家に泊まった次の雨の日、千日前に開店凸して
誰もいない中、一人ポツンとハードコアを粘着する構図。
間違いなく正攻法ではない運指で無理やり発狂を抜けて
無事AP。誰もいないので恥じらいなく淫夢くんの召喚に成功(痛い)
当時隠れランカーだったたつさんとはこの時期に知り合います。
まだシンクが1組もいない中、圏内を出してるユーザーはたつさん
ただ一人でした。これも朝の9時頃だったかな。完全にたまたま
だったけど全ての楽曲に全てのマークが付いた時の達成感は
本当にたまらんかったです。当時のmaimaiにおける完全制覇は
自分がこの時はじめて達成しました。

運営にもお祝いしてもらったりしたっけな...
この時代が全盛期だった気もする。
なんかかえってきた
(かえってこなくていい)
もう無印の頃の俺とは違う。
あの頃94%が限界だった自分はAPを出せるまで
成長しました。この時点ではなんとまだ
期間限定曲だったのですがちゃんと期間中に
討伐する事に成功します。みたかDP皆伝。

GreeN PLUSではディス娘イベントがはじまり
一時期選曲ランキング1位がディスコになる
異例の事態になっていたなーっていうのを
この前DX譜面が追加されてるのを見て思い出しました。


これまでの努力のおかげでGreeN PLUS初日に
神舞舞プレートを拝む事に成功します。
初日ゲットは初です、感無量。

ある日ゲーム内のサーバーがバグって
選曲画面が壊れる事件が起きました。
データに支障はなかったですがここまで
バグったのはこれが最初で最後でした。

バグった選曲画面と笑顔のセレカミ。

そして最初で最後のハコ型ライブイベント
「maimai LIVE 2014-洗濯祭-」が行われました。

ライブが始まる前に抽選が行われ、当たった人は
リーチか脳漿のお蔵入り譜面を試遊することが出来ました。
自分はリーチで当選しました。倍率はそんなに低くはなかった
のでコネとかそういうのではないです、マグレです。

謎のコラボによりレベルはパインアメ。
飛んでくるEACHもパインアメでした。
これがその時の動画です。自分とあすこが
一緒にプレイすることになり、もはやエキシビジョンでした。
めちゃくちゃ盛り上がったので是非見てほしい。
この譜面は数年後に宴で収録されることになります。

そして「welcome to マイマイマー」という楽曲は
このイベント内で作られた楽曲でした。
デモ音源に合わせて指示された振付をみんなで踊る。
それが実際に動画として実装されるという巣物凄く
豪華な企画でした。

ジャケットにも使われているの映像は洗濯祭の
休憩中や準備中に使われた映像でした。
実際はmaimaiちゃんがゆっくりくるくる回ってます。


LIVEはもうね、最高でしたよね。JAEPOと違って
完全に個室でやってたので観客の纏まり方が違います。
そういえばしれっと運営チームが客に混ざっていたような...
Hiro師匠、maimaiちゃん、高橋名人との1枚。
これを超えるLIVEは未だかつてありませんでした。
またやってくれないかなあ、ハコ型のLIVE。

SHARPとコラボの際に作られた本物の洗濯機です。
※本当にただの洗濯機でした

終わった後は関西の人、関東の人、
みんな入れて記念撮影しました。
一番記憶に残る公式イベントはダントツでこれです。
この遠征を通してセレカと1つの思い出動画を作りました。
色んなゲーセンを巡ってはPixel Voyageをプレイしては
それを繋げて1つの動画にするものでした。
今思えば相当手間なことやってたなあ。
そのくらい「そのゲーセン特有のカメラ画角」に自分は
特別な価値を感じてたんですよね。配置が換わってもゲーセンが
なくなってもその動画を見返せば全てを思い出せる、
その感覚がすごく好きでした。
-ORANGE-

洗濯祭のBGMとして流れていたものはORANGEの
システムBGMだと発覚した時はもう泣きそうになりました。
色鮮やかさとUIの綺麗さではこのバージョンがトップかなと。

当時のmaimaiちゃんねるはこんなんでした。
開かれる事になります。AOU主催でアーケード業界に
おいて『革命』と呼ばれる大事件が起きます。
それは

会社の枠を超えた楽曲移植です。
特にコナミは他の会社とは犬猿の仲と噂されていた
のでこれは本当に音ゲーの歴史に残る事件です。

なんということか、自分は天下一音ゲ祭で優勝し、
全国決勝の出場を果たします。全国決勝まで
上り詰める事の出来た唯一のバージョンでした。

そして全日本音ゲー頂上決戦という東京で行われる
別枠の大会に招待され初のJAEPOでの大会参戦。
結果はというと...この年に優勝した
ぎるるくんに一回戦でコテンパンにやられてしまいます。

結果はどうあれ、全国各地から集まったランカー
との交流は物凄く貴重なもので正直な話すると
勝ち負けとかもはやどうでもいいくらいは
楽しかったです。この頃のみんな元気かなあ。

難波ヒルズによく訪れていた彩羽真矢さんと
コラボ動画を撮ったりしたこともありました。
(カゴを被って顔を隠しているのが彩羽さんです)
彩羽さんは宝塚出身のゴリゴリの劇団員です。
本物です。どういう経緯か彩羽さんはmaimaiを
遊ぶようになり、自分達と交流することになります。
今となってはどんな巡り合わせやねんと。
彩羽さんと無理やりコラボして撮った動画がこれ
どんだけ名人マン好きやねん

彩羽さんとmaimai勢のみんなで妖怪体操を踊るという
今となっては謎of謎企画が難波ヒルズにて実行されます
意味が分からないけど今となっては貴重な体験だったなと...w
恥ずかしすぎるのであまり見返したくはないが...w

ちなみにこの時の映像はテレビで放映されたらしい
いやーーーーきつーーーいwww
彩羽さんの影響力をナメていた。

この頃悲しい事件が起きます。
ニコニコ動画にmaimai動画が上げ放題だったせいか
サーバー的にキツくなったか100再生の動画は
削除されるという規定が行われました。
勿論ユーザーはぶちぎれです。
有名人以外の動画は100再生いかないのがザラだからです。
つもり身内向けの懐かしい思い出動画は伸びない限り
全削除です。

みんなの意見を代弁して署名活動を集めた事もありました。
自分の知名度を利用して何かルールを覆すことはできないか、
それを考えて思いついたのがこれでした。結果的に600名
ほどの署名を頂き運営側からも事柄を周知していただきました。

改定ルールが覆ることはなかったですが運営側より感謝の
言葉を頂きました。この頃の行動のおかげで今も
記念撮影機能が残ってるのかななんて(たぶんない)
これはフレグラの最後で何かズル出来ないか
と考えた時の動画。この頃は実用性のありそうな
わけのわからない運指を考える事にどハマリしていた
気がします。どうしても出来ない人は真似してみよう!w
以下は苦労した譜面のコーナー
あまりにも苦労したので掲載。
天下一でもう二度とやりたくない譜面第一位。
わけのわからん運指をしていますがこれには
「クセを回避するためにあえて遠回りな運指を使う」
というものがあります、これは今後自分がmaimaiを
やっていくにあたりずっと意識してきたことなので
参考にしてもらえれば。
ORANGEはこれで終わりか...とバージョンが変わる1週間前に発表されたのが今のmaimaiの代表格になる
このカリバーンです。実はGreeN PLUSの頃にこの曲の
作曲者の1人、アイスさんが日本にやってきて一緒に
プレイしていたのですがまさかこのフラグを匂わせる
ためにmaimaiをプレイしていたのでは!?なんて思ったり。
実装初日で理論値APしたsmnさんの動画も記憶に新しい。
なんせエンディングに相応しい楽曲でした。

カリバーンの登場によりレート理論値が13.75になります。

これにより舞スターの存在が明らかになります。
その頃の舞スターはガチガチのレアでした。
単純にデザインが良いので長い期間付けてたような。
当時のライバルあすこが大阪にやってくる機会があったのでランカーが増えてきた今、4人でガラクタシンクできるのでは?
と挑戦した時の動画がこちら。実装当時誰一人シンクできなかった曲が
この時点でオモチャのような扱いに。プレイヤーのインフレを感じます。
まあインフレというよりみんなが平均的に上手くなってるだけなんですけどね。

ORANGEのエイプリルフールでは「表示されない」譜面
が実装されます。なにを言ってるかわからないと思いますが...
実際はこんな感じです。1人でシンクするなというツッコミはなしです。実はこの譜面、裏技がありまして
上画面のレベル表記を見ながらプレイ、もしくは上部
スピーカーもしくは下部ウーファーについてるLEDライトを
見ながらプレイするとAP取れるというのがあります。
今でも知らない人が多いと思うんですけどレベル表記と
LEDライトはこの曲のBPMに合わせて4分間隔のリズムで
点灯するんですよね。是非みんなも参考にしてみてね(もう意味がない)

ORANGE PLUSではホームランカーなる機能が実装されました。
その店舗の上位3名に特別なフレーム演出が追加され、名前の
横に順位が付いたりするものでした。
でかアイコンもこの頃から実装されました。
そういえばチュウニズムが稼働したのもこのあたりでしたっけ。
六兆年とSweetDevilはウニをプレイしてからゲット出来る
仕様だった記憶があります。あと「どういうことなの」もだっけか。
すっかり忘れていましたが「ゆっくり実況付プレイ動画」が撮影できたのも
この頃でしたっけ。あれ、物凄い邪魔でしたよね...笑


たつさんとツイン橙プレートの記念撮影。
このプレートはなぜか実装が遅かったですよね。
デバッグが間に合わなかったのかしら。

...ついにあの頃の思い出が実装されます。
あの頃の思い出に浸りながら一緒にライブを
見に行った仲間とプレイしました。ちなみに2人とも
PVのどこかで出演してるよ!結構はっきり
写ってるのでよかったら探してみてね。

そして何故か大阪にmaimai全一smnニキ襲来
彼はやすやすとライク再理論値を達成してしまいます。
やはり化け物。
ちなみに彼の動画で自分が一番好きな動画です。
まず一言、バケモン。
パフォーマーのプロフェッショナルっすね。
さすがに嫉妬しちゃう。
西のにゃんせつ、東のsmnで記念動画を撮影。
ワチャワチャしてるだけの痛い動画ですが今思い返すと
こんなこともあったなと懐かしい気分になりました。
こんだけ騒いだのに普通にAPを出すシモニキ流石やでえ

そしてmaimaiにおける自分の最初の挫折が起きます。
蓋を開ければ全部レベル12(当時の最高難易度)
自分は頭を抱えてしまいます。
出来る気が全くしなかったからです。
これまでにない暴力譜面に、たった1日で
肩は壊れてしまいます。最初の挫折です。
特にガラテアは初日AP者が出なかった記憶があります。
結局ガラテアの螺旋はORANGEの間にAPすることが
できませんでした。それでも
今もなおmaimaiで生き続ける白猫と黒猫を
倒すことに成功します。めちゃくちゃ端折ってますが
本当に最初は回転が追い付かず人間に追いつくように
設計されていないのではと思うくらい悩みます。
当初2回転だと思っていた一番早い回転は実は1.5回転だということに
気付いてからは早かった。そりゃそうだ。2回転だったら32分になっちまう。
ガラテアに関しても圏内までは出せるようになったものの
最初から最後までクレが出る難所だらけでとうとうAPは
出ませんでした。オシャマと桁違いなほどの絶望を感じて
この楽曲から逃げる日々がここから始まります。
心が折れすぎて練習して頑張る気力すらなくなったのは
たぶんこの譜面が最初で最後です。トラウマです。
出来ない自分に嫌気がさしてゲームが楽しくなくなるのを
回避するためにこの譜面と向き合うのは一旦ストップ。
PiNKに持ち越しです。
そして追い打ちをかけるように挫折に挫折をかける楽曲が...


全APへの道は完全に経たれてしまいます。
使命感だけで全AP維持を継続してきた自分にとって
これら2曲の存在は本当に痛手で、しんどかった。
それでもシンクは継続したかったので頑張りました。

またmaimaiちゃんが関西にやってくる!

そんな告知がされmaimaiちゃんオタクであった自分達は
はるばる滋賀の草津まで遠征に向かいます。

まずはみんなで名刺交換会。
maimaiちゃんお手製の名刺にみんなで名前を書いて...



交流会開始!一緒に遊んだ人達に自分の名刺を
渡して交換する交流イベントでした。

あの時はガラクタなんてやらしてしまってすまんかった...
みんなで記念動画を撮りました。
この店舗は6年後、とある案件で再び訪れる事になります...。

maimaiちゃんには名刺とチロルチョコを頂きました。
商品化はよ。

貰った名刺は今でも大事にしています。ありがとう。
完
───そして途中になりますが───
思い出話の続きはなんと~~~!?
あまりにも長くなってしまったので別記事に続きます(白目)
いやー、10年の思い出を1つの記事に纏めるなんて自分には無理っす。
一度全部纏めてみたんですけど読むのがダレるくらいの
莫大な写真と文章量になってしまったので今日はとりあえずこれにて終了です。
時間がある方はまた明日以降見に来てください。お手数をおかけします。
--------------------------------------